「答(応)えよう」を手放すと、心に余裕ができる。
こんにちは。ミニマリストkokoです。
「気付かぬうちに応えようとしてしまう」ことはありませんか?
周りがこういう雰囲気だから空気をよまなきゃとか、
人から言われた嫌味に反論(アンサー)してみたり
「誰がこう言ってくるから」と意見に合わせようとしたり
合わせなかったときのことをイメージして嫌な気分になったり
合わせたくないのに仕方なくやってみたり
聞かれてもないのに意見してみたり、反論してみたり
それは意識していることではなく、小さなころから「周囲に合わせないと孤立してしまう」といった強迫観念や正義感などの、うえつけられた常識だったりします。
しかし、常識って自分の周囲にしかないごくごく小さな範囲のことでしかないのです。
例えば・・・
バスタオルは毎日洗濯する!それが普通だしみんなやってる!!
と思っても、世の中には1週間バスタオルを洗わない人だっていて、それがその人にとっての常識なのです!(笑)
人からの反論も同じで、それは相手が相手の周りでしか通用しない常識に反した時、攻撃してきます。
相手にとっては〇でも、私にとっては△なこともあり
相手にとっては△でも、私にとっては〇なこともある。
それを押し付け合う必要も、受け入れ合う必要も全くないのです。
しかし人は、勝手にそれを、時には悪気なくしてしまうんですね。
ごく自然に、当たり前に答えようとしてしまう、勝手に答えちゃうというか。
「言葉に出して答える」だけではなく、なにかの成績を出して期待に応えようとか、そういう行動的な意味も含めて・・
そして意見する側も、受け入れようとしてくれるだろう。答えてくれるだろう。とよくわからん期待を持ち、それが叶わなかったときに怒りとしてぶつけてきたり。。
街を歩いていても、仕事をしていても、理不尽にキレ狂ってる人はたくさんいます。
震災が起こった時、コンビニの店員さんへなぜモノが無いんだと怒り狂ってるおばちゃん
台風で出社できなかった人に、なぜ連絡がしないんだ!約束しただろう!台風?そんなの知らねーよ!と怒鳴り散らすおじちゃん
「自分が損した」原因を相手にぶつけてくるお兄さん
チクチクチクチク文句ばっかり言っているお姉さん
そういう方たちへ答えようとして、でもどうにもならない(物流再会してない/電車動いてない、停電中)から私を責めないでよ!思ってしまいますよね、、
なんじゃこいつ!って思うような人間ってたくさん(笑)
「こんなところで体力精神力つかっていいんかいな・・」とおもえてしまうほど。
けど、そんな人に会った時こそ「答えようとしない」「相手にしない」。
そして自分も「聞かれてもいないのに意見しない」。
私は、そういう嫌味などの攻撃を私に向けられた時は完全シカト。全無視します。
そして、誰かの意見に対して、ん?って思ってもスルーします。逆にそれだと思ったらめちゃくちゃ賛同します(笑)
「答えようとしないこと」で自分がどれだけ救われることか。
期待に、嫌味に、人の意見に、人からの押し付けに。それら全てに自分が答えよう、もしくは応えようとすると疲弊してしまう。
私は応えたいと思った時だけできる範囲でして、それ以外はフルシカトを決め込みます。笑
めちゃラクですよ〜✨— ミニマリストkoko@札幌 (@minikoko_) 2018年9月29日
「反対意見を述べる事」は、どう思う?と聞かれて初めてすること。
聞かれてもない相談されてもないのにそれをしてしまえばただの攻撃でござる。「ん?」って思ってもわざわざそれは違うと思う!とかおかしい!なんでこうなんだ!と言う必要がないのでシカト、スルーです。
クレーマーになるなー!— ミニマリストkoko@札幌 (@minikoko_) 2018年9月30日
嫌味に答えようとするから苦しくなる。
クレームに対処しようとするから苦しくなる。
押し付けに応えようとするから苦しくなる。
期待にも、質問にも誘いにも。
された期待に、意見に自分が答えたいと思ったときだけ、答えるように訓練をしていくと人生が180度変わりまっせ!
これはスルーしたい!という時には必殺「知らんがな。(心の声)そしてスルー。」
イメージとしては、流しそうめんです(笑)
しかも不思議なことに「答えようとしなければしないほど、変な人や期待が減っていく」のです。
「コイツにいっても無駄じゃ」って思われてるのかな・・(笑)
昔は、クレームを受けたら自分が全て責任を取らなければ!(内容に関わらず)と思ってしまったり
オドオドしてみたり、「うわぁ・・」という感情が顔に出てしまったり、声に乗ってしまったりしてました。
期待に応えようとボロボロになるまで頑張り通したことも。
けれど、答えたくないことには答えない(応えない)ように少しずつチャレンジしていくことで
よくわからんことを言ってくる人が自然と減ってきたんです。
仕事でもプライベートでも自分が「嫌いなゾーンの話」を聞かなくなりました。
きっと、期待されたら無理しすぎてでも応えようとしていたわたしを、周りは「褒めたら伸びる人、期待を言葉にすれば伸びる人」だと思ってしまったのでしょうな(笑)
例え聞こうと思ってなくても、耳から入ってくる情報は自分が思っている以上に自分を疲弊させます。
そして小さな頃から培われた空気を読むレーダーも敏感になりすぎると疲弊します。
自分がスルーできる勇気をもち、行動に移すことによって耳にすら入ってこなくなる。
それが自分の疲弊をへらし、もっと大切なことに精神を使えるようになったり
「自分はダメな人間だ」と自己否定し、鬱っぽくなってしまうようなことも減らせる気がしてます。
頭痛外来の先生曰く、「怒鳴り声」も脳は騒音と受け取って脳波がバリバリ反応するとのこと。
片頭痛の行く末である「脳過敏症候群」は脳が半端ない情報量に耐えられず(少しのことでも過敏に反応してしまう)、頭が休まっていない状態なんだとか。
実際にわたしの脳波もギザギザギザギザ!!でした。(笑)
最近は測っていないけれど、頭痛の頻度が激減したので(薬なし)脳もおちついてきてるのかな~と。
とは言いつつ、そんなに簡単にいわないでよーーーっ!と、昔は思っていた1人なのですが(笑)
1つづつスルーに挑戦していき、心のお片付けを行なうことでめちゃくちゃラクになりました~!!
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※栄養学について書いている記事は、医療を否定するものではありません。
学んだことを、私自身に試した結果、個人的な体感を記すものです。
真似をされる場合は医師の判断を得たうえで、自己責任でお願いいたします。